日本初の液体燃料ロケットN-Iは、成功率ほぼ100%と言う素晴らしい成果を上げていました。しかし、当時すでに他の宇宙先進国では300kg代の衛星を静止軌道に打ち上げられるロケットが主流であり、N-Iの打ち上げ能力(GTOに130kg)は十分とは言えないものでした。そのため、N-Iの能力向上型として開発されたのがN-IIです。
全長35.6m、直径2.44m、重量135.2t。低軌道に2t、静止トランスファ軌道に350kgの打ち上げ能力を持ちます。
しかし、速やかに新型機を開発する必要に迫られた日本は、N-Iと同じくアメリカ(デルタロケット)の技術を導入することになります。二段目のエンジンは国産のLE-3からライセンス生産のAJ-10-118FJに変更され、デルタの慣性誘導装置が搭載されました。また、一段目の燃料タンクが延長され、補助ブースタも3本から9本へと増やされています。
結果として、日本のロケットの国産率はさらに低下することになりました。特に慣性誘導装置は、ミサイルの心臓部でもあるために完全にブラックボックスとして扱われ、日本側は一切タッチすることは出来ませんでした。彼らが独自の誘導装置を手にするのは、次のH-Iロケットになってからとなります。
N-IIの運用は、1981年2月の技術試験衛星「きく1号」打ち上げから開始されました。以後1987年までの6年間、合計8回の打ち上げにことごとく成功するという高い信頼性を示します。ベースとなったデルタロケットの優秀さに支えられていたとは言え、日本の技術もまた、確実に進歩していたのです。
彼女から得られた新たな技術とノウハウを積み上げたNASDAは、より国産化率を高めたH-Iの打ち上げを1986年に成功させます。その共通部分の多さからデルタロケットの一種とまで言われるN-IIは、しかし国産技術の過程として、そして衛星打ち上げロケットとして確たる実績を残したのです。
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